年齢など、全く関係ない

色々な人と話をすると、“若さ”というものに対して、妙に有り難がっている印象を受けます。個人的には“若さ”に対して、大して有り難がる必要のあるものではないと思っています。年齢など、全く関係なく、無茶を出来る、困難に挑戦する気概を持っているかどうかが重要だと考えています。

私のこの考え方に近い、考え方のものがあります。サミュエル・ウルマンという方が出した“青春の詩”という名文がそれです。

内容が非常に秀逸であり、自分の考え方に似ている部分もあるので、ここに紹介しておきます。

青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。
年を重ねただけで人は老いない。
理想を失う時に初めて老いがくる。
歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。
苦悶や、狐疑や、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。
年は七十であろうと、十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。
曰く驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰、事に処する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。

  人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる。
  人は自信と共に若く 失望と共に老ゆる。
  希望ある限り若く  失望と共に老い朽ちる。
大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして偉力の霊感を受ける限り人の若さは失われない。
これらの霊感が絶え、悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至れば、この時にこそ人は全くに老いて神の憐れみを乞うる他はなくなる。

何かを始める際に“遅過ぎる”ということはありません。例え、あなたが後24時間後には命を落とす運命だとしても、何かを始めない理由にはなりえないのです。
何かを始めることと、始めないことの差は、命を落とす時、あなたが『始めた何かを出来るか出来ないか』の差しかないのです。
何かを始めない理由となりえるのは、24時間後には命を落とす運命だとして、それを始めることに価値があるとあなた自身が認めるかどうかにしか過ぎないのです。